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Febrary

Febrary

10th Febrary

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     ヤッバイ位に更新していなかったー、すいません。

     日本に帰国する日が迫ってきたぞー、という悲しいお知らせはもう何度もしたのでもう言いません。ただもうすぐ帰るってだけっす。

     そんな今日この頃、私は何をしているのかを紹介しましょう。端的にに言いますと、ほぼ毎日映画見てます。アパートの近くにNikoVideoっていう無人レンタルビデオvending machineがconvenience storeの中に備え付けられているため、そこに毎日足を運びDVDを借りてきては見る。分からない単語が出てくるたびに一時停止して書き取り、意味を調べる。そしてまた再生、一時停止、再生.....と延々一本の映画に付きっ切りでunknown単語とphrasal verbなどをpick up していく作業を行っています。

     こんな地道な作業、一本の映画を見終えるのに裕に6時以上かかってしまうのだけれど、中々飽きずに続けられます。私が映画、文学、演劇、美術鑑賞等のいわゆるcreativeなartに関するsubjectに退屈しないというfeatureのお陰かもしれませんね。

     高校生(厳密には高専生)の時は芸術や演劇なんて目もくれず水泳と麻雀、微分積分、退屈な毎日に飽き飽きする毎日との葛藤ばかり。今思い返しても何をしていたのか分からないってことは、相当濃度の薄い高校生活を送っていたのだなと思います。電気科卒業したのに電気のこと何もわからないしね、忘れちゃったから。毎日反復して勉強しないとすぐ忘れちゃうのが物理や数学の悲しい一面なんですよ。といえばいいのかな?この世界を物理的に縛り付ける理、法則、それは電界磁界の織り成す電磁場が形成する時空間的法則ですけれど、その基本概念がシルエットが朧げに見えてきた段階で私の勉強はストップしてしまっているんです。入り口に突入する前に英語の勉強に突っ走ってしまいましたから。

     おっと思わぬpitfallに陥ってしまいましたね。俺の昔話はどうでもいいか。話が逸れるのが俺の悪いところ。困難じゃTOEFLエッセイでいい点取れないぞ!

     話は戻り、ここ一年半ほど私は芸術、art、音楽、演劇、歌舞伎、落語、囲碁、human-communication、体制批判などなど色々な事に好奇心と興味の蓋が全開に空いてしまったため、退屈など生活を送っています。退屈は全然しないのだけれど酷く鬱になるようにはなりました。思春期の頃の一回がすさまじく思い鬱ではないのですが、小刻みな鬱が非周期的に訪れるようになりました。面白いことや楽しい事が自分の周りにばらばら転がっているのに何故happyになれないのでしょう?その原因は当然ながら自分の中にるようです。

     面白いサブジェクトがたくさんるがためにそれを自分のSpareTimeの間にすべて満足いくまで追求できない、というのが原因でしょう。日々、家出寝そべってグーたらしているって事は万に一日も無いわけですが、それでも自分のperformanceの限界を感じ、その限界を突破できない事に途方も無い悲しみを感じるのです。

     自分の限界についてみなさんは考えた事がりますか?私の経験例を申します。高校時代の期末テストは1週間以上に渡る長丁場です。その試練の1週間の間に数日だけ、一日3教科テストを受ける日がる。いわゆる山場って奴ですね。私の場合、一日2教科までなら前日まで何も準備していなくても一夜漬けで80点以上取れるです、ほぼ高確率で。これは私の経験から導き出された統計ですのでたまに80点以下も取りましたよ。酷い時は70、60点代も取りました。でも一夜漬けで裕に単位は間違いなく取れる一瞬の集中力は有る、有ったんです。数学、物理は私の専売特許でしたから一夜漬けはせず数日前までに準備して90点以上を取るようにしていましたけれど。

     私の苦手な分野は my only chink of armourは国語と英語と文系科目、倫理、倫社、歴史、古文。なんと言うかね、数学みたいに論理的で覚える事が無く、演繹や帰納的な問題は得意なのですけれど言語関連や、関連性が一つの教科内にほとんど無いように見えて実はる教科、倫理などはまるっきり駄目でした。国語も駄目でした。"、"るじゃないですか?なんていうんだっけこれ?句読点?この付け方って法則るの?この着け方って人それぞれジャン。日本人一億3千万人みんな違う方法論でつけてると思うんですよ。こんな奇妙な問題に出くわすと俺の頭パニックするんです。試験時間中にvomity感じちゃうわけ。

     そんな苦手分野は高校の時はすでにぶん投げるようにしてました。捨ててました。でも理系比較的が良くてクラスの中の上に居座る事が出来たわけですが、今思い返せばもっと俺は出来たと思う。時間をかけてじっくり準備すれば俺はトップ10に食い込めたと思う。様は、時間を確保して本腰を入れてじっくり挑めば大抵のことは出来る、自分には出来るんだという自信が高専4年、5年生、大学1年2年の時にもう芽生えていました。それが日を重ねるにしたがってだんだんと大きくなり、今では自分の限界を突破する方法論を日々考えるにいたっているのです。

     限界突破breakthrough。それには健全は精神状態と健康状態、並びに規則正しい生活リズム、驚異的な動機付けの全て必要でるという結論に至りました。何一つ欠けてはいけません。この4factersが揃ったとき私のperformance function f(n)はlim(n →∞)に置いて絶対収束absolute convergenceで天才の領域、天才の部分集合の1要素まで達することができる。私はそう信じています。

     問題なのは4っつを常にhighな状態で維持し続けること。これには相当の覚悟と精神力が伴いますが、その維持する方法論をつい最近考えているわけです。その方法論は導入部、introductionに書きましたが、たくさんる私の興味から導き出されると推理しています。芸術やcreative Art、音楽はそれ自体にpowerを秘めています。その作品にまとわり着くオーラと言えば分かりやすいでしょうか。それらを見ていると自分の5感以外の感覚を刺激され、なんとも言いがたいのですが、腹部の下の辺りからヤル気というか気が漲ってくる。それも本当にpure100%のヤル気が。落語を聴いていると噺家さんのトリッキーな話口調や落ちの滑らかな事に感心しますし、歌舞伎を見ると古き良き日本の大衆娯楽から感じ取れるほのぼの感や粋を感じます。囲碁をやっていると時間がっという間に過ぎますし、負けると本当に悔しいから自分が心底負けず嫌いだなと思い出させてくれる。それに囲碁って頭使うから絶対テレビ見るよりいいよ。

     そんな感じで私にはいくら時間と金が有っても有りすぎることは無い。体は年をとって衰えていくけれど、自分の意識や精神年齢は常に若返るベクトルにるべきだと私は思います。そうするために自分1人だけの時間を確保し、精進に精進を重ねて高みに上り詰める。これが私の人生ストラテジーです。

おまけ: 俺は一生独身かもしれません。独身貴族。でも子供は育てたい。何でって、子供の成長過程に親として介在することで自分が学ぶところが多いと思うから。また、子供って容赦なく親の悪いところを指摘するし、指摘できる数少ない人なわけじゃん。ずっと一人身でいる間に自分に自惚れちゃったり世間知らずになったり知識だけ溜め込んだ頭でっかちになる恐れがりますので、それを子供の無邪気さで引き止めて欲しい。だからブラッドピットみたいに養子を数人もらって、俺1人で育てよう。そしてヒラリークリントンみたいにさ、子供としっかりdiscussionの時間を持って、子供を2歳3歳の時点で1人の立派は人間として扱ってげる、そして子供が素朴な質問をしたときは俺は真剣に時間をかけて答えて、説明してげる。そうすることで子供って絶対伸びるのが早くなるだろうし、自分の意見もしっかり持てるようになるだろうし、その子デフォルト能力値も他の出来ちゃった結婚で生まれちゃって親が育児をめんどくさがるような親の元の子よりは格段に高いと思うんです。今後21世紀後半の苦しい世の中を強く逞しく生き抜ける人間を僕は育てたい。子供の幼年期を一緒にすごしてげて、子供と一緒の目線で自分も成長していきたいですね。

     このアイディアに賛成のインテリスーパーキャリアウーマン募集中。妻がバカじゃ俺の将来育児計画は破綻するからね。

Febrary

16th Febrary

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     私は彼のお見送りに空港まで行ったのですが、友人の人生の大きな節目に立ち会うのはどうも感傷的になってしまう、しかも空港だったしね、もうお互いに住む国が違うんですものね。私は彼が日本の高校終えて、カナダで英語と大学生をやるためにカナダに渡って来てハリファックス空港に最初に降り立ったその日の彼を知らない。でも私はカナダ留学の終わりを迎えた日の彼を知っているし、その彼を見届けました。

     彼はこの5年間でどれだけ変ったのでしょうか?5年前より数十倍は賢く、何十倍も多くの知識を蓄え帰ったことでしょう。そんな彼は5年前の彼ともう別人でしょうか?それとも5年前の彼に5年分の知識、経験、思い出が引っ付いただけでしょうか?

     これらの疑問は、彼に直接聞いてみるか、彼と過ごした思い出からす推測する以外に答える方法は無いでしょう。他人の意識がどうなっているのか考えているに等しいですから。

     なーに、れこれ考えて見れてどーもならん。彼が死んだわけでも全然無いし、また日本で何度も合えるだろうし、別れがものすごい悲しいわけでも無い。正直なところね。

     でもこれだけは考えたい。今後彼がどう生きていくのか、どう働き口を探して、自活して、自分で未来を切り開いていくのか。今の彼からまたどれだけ成長して、良い面でも悪い面でも変っていくのか。今までの彼と、今後の彼。人生の交差点に立ち会った、立会人としてそのことが気になります。  

おまけ:みなさんは他人の人生を生きてみたいと思ったことはりますか?自分ではない他人から見えている景色を見たい。他人が感じた感覚を感じたい。自分が人に触ったとして、触られた人がその接触をどう感じたか。自分が口にした言葉が他人にどう認識され、どのような感情を抱いたのか。1人の頭には2人の意識は入っていられませんから、他人の意識からこの世界を見ることはできませんよね。でも私はそんなことが出来たらいいなと、たまに思うんです。

    ひょとすると私は自分の記憶や経験だけでは飽き足らず、他人の人生、他人の記憶、経験、意識まで欲しいのかも知れませんね。なぜそんなことを思うのかもわかりませんが、そんなことを思ったことがる人がいたなら、一緒に何故か考えて見ましょうよ。      

Febrary

th Febrary

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更新日時:2007/02/17 08:07:57
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